4820190401keihatu.png
 
 
【誇りを持て!白洲次郎の名言】
 
 
(1)
 
熱意だよ。
 
日本でも明治維新の時の
政治家とか実業家は、
 
熱意があったから
あれだけの仕事が
出来たんだね。
 
 
(2)
 
人に好かれようと思って
仕事をするな。
 
むしろ、半分の人には
嫌われるように
積極的に努力しないと
良い仕事は出来ない。
 
 
(3)
 
何かにしがみつかなければ、
生きていけない根性なら、
神頼みでもして、
鰯の頭でも信心していた方が、
他人様の御迷惑にならん
だけでもましだろう。
 
 
(4)
 
われわれは戦争に負けたが、
奴隷になったのではない。
 
 
(5)
 
運転手を待たして
ゴルフする奴なんか、
ゴルフをする資格はない。
 
 
(6)
 
地位が上がれば役得ではなく
「役損」と言うものが
あるんだよ。
 
 
(7)
 
今の日本の若い人に、
一番足りないのは勇気だ。
 
「そういう事を言ったら損する」
 って事ばかり考えている。
 
 
(8)
 
人様にしかられたくらいで
引込むような心臓は、
持ち合わせがない。
 
 
(9)
 
自分よりも目下と思われる
人間には親切にしろよ。
 
 
(10)
 
「すみません。」は駄目だ、
「SAY THANK YOU」だ。
 
 
(11)
 
金払いはよくしろ、
明るくふるまえ、
特定の女とばかりしゃべるな。
 
そして、言い寄られたら
「ノー」と言え。
 
 
(12)
 
おのれの好まざることを
人に施すなかれと
先祖代々教わってきた我々も、
 
人の好まざることを
人に施した挙句、
 
人の好まざることは
やっぱりおのれも
好まざるものであったと
気がついた。
 
因果応報。何をかいわん。
 


 
(13)
 
臭い物は蓋をしないで、
いつか始末しなけりゃ
ならないんだから、
外へ出したらいいんだ。
 
 
(14)
 
日本人も日本も
欠点だらけらしいが、
人間も国家も
完全ではあり得ない。
 
米国もまた
その例外ではなかろう。
 
 
(15)
 
反省のない人間など
使いものになるとは
思わない。
 
 
(16)
 
お偉方諸氏もみんな一度は
若かったのだ。
 
昔の若かった時代のことを
思い出して見て下さい。
 
青年を扱うのに雅量と同情を
もってして頂きたい。
 
 
(17)
 
いま日本でいけないのは
すぐ人の脚を
ひっぱることだね。
 
これは大変な奴だと思うと
脚をひっぱっちゃう。
 
だから日本で何かの
トップにゆく奴は、
毒にも薬にもならない奴が
大部分だよ。
 
 
(18)
 
このごろの
マスコミの論調を
そのまま世論だと
お思いめさるな。
 
国民はそんなに
軽率でもないし
一方的でもありません。
 
 
(19)
 
経済人はもっともっと
自己反省してみても
悪くはなかろう。
 
やれ補助金だ、
やれ割当だと、
こまってくると
すぐ政府になんとかしてくれと
泣きつく乞食根性は、
もうやめてもらいたいものだ。
 
 
(20)
 
どうしたらよくなるか、
それを工夫してゆくより
しょうがないじゃないか。
 
よくなるとか
ならんというよりも、
よくするほかに
みちがないことを
認識すべきだ。
 
 
(21)
 
政治をやる人は
もっともっと行政の対象
の国民の立場になって
考えてみるがいい。
 
農民の生活の向上を
叫びたい人は、
農民の生活がどんなものかと
体験してからに
してもらいたい。
 
 
(22)
 
どうも日本人というのは、
これは日本の教育の
欠陥なんだけど、
 
物事を考える時に、
物事の原則っていうことを
ちっとも考えないんだ。
 
 
(23)
 
僕は政治家じゃないし、
人に何言われても
一向に平気なんだ。
 
僕はそういう所、
わりに旧式なのよ。
 
自分の良心はきれいだと
思ってるから、
人が何言おうと
平気なんだ。
 
 
(24)
 
弱い奴が強い奴に
抑え付けられるのは
世の常で致し方なしと
諦めもするが、
言うことだけは
正しいことを
堂々と言って欲しい。
 
 
− 白洲次郎 −
 
 
 
31320180601keihatu.png
 
 
■ 白洲次郎ブームでその存在を知る
 
 
今回は、白洲次郎の名言をまとめさせていただきました。白洲次郎は今だに戦後復興の立役者として語られることが多いですが、数年前ちょっとした白洲次郎ブームが突如として起こりましたよね。
 
 
私はちょうどその頃にその存在を知ったのですが、メディアでも頻繁に取り上げられましたし、本も沢山出版されたので、すぐに白洲次郎ファンになってしまいました。
 
 
とはいっても、当時は白洲次郎が若かりし頃の英国留学時の贅沢な暮らしぶりにばかり目が行き、お恥ずかし話ですが、英国に留学するのが夢だったこともあって、当時とてつもない憧れを抱いていました。
 
 
 
 
4920190401keihatu.png
 
 
■ とにかくスケールがでかい!
 
 
白洲次郎は、1902年2月17日兵庫県芦屋市神戸の貿易商の家に次男として生まれ、中学、高校と手のつけられない乱暴者だったようで、当時すでに身長が180cmもあったので、喧嘩も相当強かったようです。
 
 
また、高校生で米国の高級スポーツカーを乗り回していたのだとか。これほどのイケメンでスポーツ万能、喧嘩が強い、勉強ができる、お金持ちとなれば、女の子からモテないはずもなく、中学生のころから宝塚歌劇団の生徒と交際していたようです。
 
 
そして、高校を卒業してすぐにケンブリッジ大学に留学します。留学中はイギリスの貴族の御曹司たちと交流し、このころに本物と偽物の見分ける力をみにつけることの大切さを痛感し、自ら積極的に一流のものに触れる機会を得ながら、さらに英語の技術を磨いたようです。
 
 
しかし、父親の会社が倒産し、留学を中断して帰国することとなり、すぐに正子さんと結婚します。この正子さんという方も白洲次郎さんに負けず劣らずの凄い方で、朝ドラになってもおかしくないくらい壮絶な人生を送られています。
 
 
 
 
31420180601keihatu.png
 
 
■ 戦後復興の立役者!?
 
 
白洲次郎は、戦後復興のフィクサーとして活動されていたことは間違いないようなんですが、その裏で戦後復興の利権の闇に飲み込まれてしまい、諸外国に日本の国富を売り渡した売国奴的なことを言う人もいます。
 
 
しかし、白洲次郎の誰にも屈しない姿勢を当時外務大臣だった吉田茂に買われて、GHQの交渉窓口を務め、太平洋戦争終結から半年も経たない昭和20年に、白洲次郎はGHQ司令長官であるダグラス・マッカーサーをどなりつけて周囲の人たちを驚かせたという逸話の持ち主です。
 
 
このあたりのことを是非映画にしてもらいたいと強く願っています。数年前に俳優の伊勢谷友介さん主演で白洲次郎の伝記的なドラマが製作されましたが、ダークサイドの部分はあまりというか殆ど描かれていなかったので、映画ではこの点を明らかにして欲しいところです。(映画製作の話は何も決まっていませんが.....)
 
 
 
偉人列伝 白洲次郎
 

 



『 こんな記事も読まれています 』