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【 魂が求めるままに生きる! 】
 
 
(1)
 
心が貧しいと、
人を責めたくなる。
 
心が卑しいと、
人の欠点ばかり
見えてくる。
 
心豊かになると、
人のいいところが
見えてくる。
 
 
(2)
 
良く働いたものは
良く寝れる、
 
良く生きた者は
良く死ねる
 
 
(3)
 
食べ物にしても
情報にしても、
 
いらないものを
とらないということは
 
僕の中では
大切なことです。
 
そうしないと絵も
無駄な線が多くなる。
 
作品の中で
無駄なものを
無くしたいんですね。
 
自分自身の生活から
律していかないと
それは絶対に
表現できないと
思うんですよ
 
 
(4)
 
「好きなだけでは
 食っていけないよ」って
 よく言われましたが、
 
好きな気持に
正直に従ってきて
私は良かったなと
思っています
 
 
(5)
 
隣の家の玄関先に
赤い花が咲いているのが
目に止まりました。
 
誰が見ているわけでも、
誰に見せようとしている
わけでもないだろうに、
 
花は凛と咲いて、
自分の生を全うしている。
 
すごい、すごい、すごい。
花って、なんてすごいんだ!

このときぼくは、
生まれて初めて
 
「花の存在のすばらしさ」
に気付かされました。
 
もう身動きが
取れなくなるほどに。
 
こういう生き方
じゃないのか。
 
生きるとは、こういうこと
じゃないのか。
 
胸がグーッと
熱くなりましたね。
 
 
(6)
 
若くても
人の褒め称えが
できる人は、
人の上に立てる。
 
 
(7)
 
「好き」っていうのが、
私はやっぱり一番大事な
ものだと思う。
 
 
(8)
 
くよくよ悩むのは、
全然構わない。
 
悩むのはよい方向へ
変われるチャンスだと
思うから。
 
でも、悩みをいつまでも
引きずってはいけない。
 
とことん悩んだら、
行動に移す。
 
これだと思ったら、
突き進んで、
掘り下げる。
 
道はその先に
きっとひらけていく
んじゃないかな。
 
 
(9)
 
心の声に素直に従い
チャンスを呼び込む
 
 
(10)
 
順風満帆に
見えるかもしれないが、
 
本気で俳優に
取り組むためには
 
「心と体をリセット
しなければならない」
と思っていた
 
 
(11)
 
自分の魂の声、
「腹の主の声」
に耳を傾け、
 
率直に従えば道は開ける
 
 
(12)
 
人生にリハーサルはない。
全てが本番。
 


 
(13)
 
お笑いも、役者も、
絵も、ヨーガも、
 
尊敬する人を見て、
モノマネから入ります。
 
 
(14)
 
常に求めているのは、
魂が歓喜している状態。
 
それ以外のことは
したくない。
 
 
(15)
 
夢の到達点を決めて
目前の今を楽しむ
 
 
(16)
 
自分のなかから
出てくるものを
表現したくなった。
 
その手段として
選んだのが絵だった
 
 
(17)
 
『ヨーガは苦行だろう』
とまわりから
言われるけれど、
 
私にとっては快楽の時間。
 
これからも楽しみながら、
1日1日進化し続けたい
 
 
(18)
 
役は自分の生きざまに
ついてくる。
 
70代になったとき、
人生が滲み出る
面白い役者でいたい!
 
 
(19)
 
人生はこれから!
 
努力を積み重ねて
20年後も輝いていたい!
 
 
(20)
 
考えて
好きになる
のではない。
 
ふっと心とらわれて、
心のおもむくまま、
 
「腹の主」
の命ずるまま、
 
一所懸命である姿が
ここにある。
 
 
(21)
 
「老化」ではなく「進化」
 
「やればできる」と
誰よりも自分を信じている
 
 
(22)
 
精神世界と
肉体を持って生きる
現実社会の両方を、
きちんと保って生きていく。
 
陰と陽のバランスですね。
 
 
(23)
 
「人から幸せに見える」
が基準だと虚しいですね。
 
それは嘘だから。
 
本来、100人が100人
自分の魂が歓喜する状態を
求めていたら
 
100通りの生き方や
喜びがあるはずなんです。
 
 
(24)
 
くよくよ悩んでいる
時間はない。
 
魂が納得できる
生き方をしたい。
 
 
− 片岡鶴太郎 −
 
 
 
■ 小学生のころに芸人を志す!
 
 
今回は、お笑い芸人、俳優、画家として活躍されている片岡鶴太郎さんの名言をまとめさせいていただきました。片岡鶴太郎さんは、昭和29年(1954年)12月21日に東京と荒川区に生まれ、お父さんが大の演芸好きだったため、鶴太郎さんもお父さんに連れられて幼少のころから寄席や演芸場へ通っていたようです。
 
 
そのえ影響で10歳のころには芸人になることを決意していたようです。決意といっても小学生くらいの子供なら誰もがもつ夢のレベルではありません。どうすれば芸人になれるのか、頭の中はそのことでいっぱいで、眠れない日も多々あったようです。
 
 
しかし、鶴太郎さんのすごいところは、悶々とした状態にとどまるのではなく、すぐに行動に移すところです。当時は子供が物まねや漫談などの演芸を披露する番組がいくつかあり、そうした番組で当時から得意だった物まね(動物が中心)チャンピオンになったこともあるのだとか。
 
 
 
 
■ マッチのものまねで一躍人気芸人に!
 
 
当時番組を切り盛りしていたディレクタ−の一人に、のちの名プロデューサー横澤彪さん(俺たちひょうきん族などを手掛ける)に気に入られ、将来芸人として活躍できるようになるためにはどうすればいいのか、一緒になって考えてくださったそうです。
 
 
このときの縁があって、俺たちひょうきん族が放送開始されてすぐに、ようやくテレビの仕事がくるようになった限りなく無名に近い状態の鶴太郎さんが抜擢され、横澤さんが提案したマッチこと近藤真彦さんの物まねで一躍人気お笑い芸人の仲間入りを果たします。
 
 
 
 
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■ 俳優としてのキャリアをスタート!
 
 
1980年代半ばごろから、ドラマや映画にも頻繁に出演するようになり、このままだとお笑いの仕事も俳優の仕事も両方とも中途半端になってしまうという思いから、俳優としてキャリアを再構築することを決断します。そして、そのために一旦心と体をリセットするために、ボクシングも同時にスタートします。
 
 
当時32歳だった鶴太郎さんは、1年間元バンタム級世界王者の鬼塚勝也さんらと一緒に毎日激しいトレーニングをつんで、見事プロボクサーテストに合格します。お笑い芸人時代は、かなり太っていたのですが、ボクシングの厳しいトレーニングによって、誰もが驚くくらいスリムな体を手に入れました。
 
 
 
 
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■ 画家としても大成功!
 
 
俳優として活動しはじめて、10年くらい経過したころから、絵を独学ではじめ、たった数年で画家として国内外で個展を開けるまでになり、著名人の間でも安倍首相夫妻をはじめ、鶴太郎さんの絵が好きな人は沢山います。
 
 
絵を始めたのも、50歳をまえに「このままじゃいけない」という思いに日々悩まされていて、そんなおり、ふっと思いついたがの「絵を描く」ことだったのだとか。1998年まで人の絵を鑑賞したりしたことそうなので、本当にゼロの状態からのスタートです。
 
 
 
 
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■ ヨガで新境地を切り開く!
 
 
また、最近ではヨガのプロインストラクターの資格も取得しています。ヨガは58歳のころからはじめ、今では毎日4時間から7時間ヨガと瞑想を行うことが日課となっているようで、そのあまりにもストイックな生活に家族の人たちもついていけず、奥様とは離婚されてしまったのだとか。
 
 
家庭のことはともかく、新しいことにチャレンジする姿勢には本当に頭が下がります。といっても、行き当たりばったり、思いつくままに行動したわけではなく、気が狂いそうになるくらい悩んでいた時期がこれまで何度もあって、その直後にある種の転機がおとずれ、そこで無我夢中になってやるのがこれまでのパターンのようです。
 
 
 
【画像】 Pinterest
 
「片岡鶴太郎 × タモリ 画家になったきっかけの作品をここだけで紹介」
 

 



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