【 やさしい思い 】
X JAPANのhideに市民団体から
「ある難病の少女がhideのファンなので
1度会ってくれないか」という依頼があり
hideはこれを快諾
ライブ後に対面し、打ち上げにも
手を繋いで一緒に行ったそうです
hideはその後も時間をつくっては
少女を励まし続けました
ある日移植手術を受けた少女は
危篤状態に陥ります
お母さんはhideの弟でマネージャー
の裕士さんに電話をします
「最後に(電話で)
hideさんの声だけでも
聞かせてあげれないか?」
とお願いします
それを祐士さんから聞いたhideは
「この後の仕事は
全てキャンセルにしろ。
病院まで車をぶっ飛ばせ!!」
と言い病院に駆けつけ
数時間も励まし続けたそうです
その後少女は奇跡的に回復します
このことがきっかけでhideは
「何か力になれれば」と
当時まったく知名度がなかった
ドナー登録を行うことにします
しかし 登録する場所に入ると
そこには多くの記者がいました
事務所がhideや祐士さんには内緒で
記者会見を準備していたのです
その場では問題なく
記者会見が行われましたが
自宅に帰った際入り口で
hideは祐士さんを殴り飛ばし
「これじゃあ売名行為じゃねぇか!!
もしそんな風にマスコミに書かれて
その娘が傷ついたらどうすんだ!!」
と激怒したそうです
1998年にhideは急死
hideの葬儀のさい
落ち込む少女にYOSHIKIが近づき
「次は僕らが君を支える番だ」
といったそうです
その後YOSHIKIやhideと
親交のあったJなどが
少女を支え続けたそうです
ちなみにこの少女に向けて書かれた曲が
「MISERY」という曲です
■ 若い世代に受け継がれるHIDEの思い!
今回紹介させて頂いた投稿は、5年ほど前にSNSや人気のブロガーさんが取り上げて話題となり、その際に読んだのですが、HIDEさんの少女に対する優しい思いに大泣きしたのを覚えてます。そして、残されたhideさんの楽曲の素晴らしさが自分の中でさらに大きくなりました。
当時この記事に書かれているような活動を行っている事自体知りませんでしたが、過去に音楽誌を中心にHideさんのインタビュー記事を沢山読んでいたので、そういったことをやる優しいイメージがHIDEさんにはありました。ですので、その活動自体には驚きませんでした。
しかし、あれだけ当時国内外で活躍し、超がつくほど多忙だった人が、よくそういった活動を仕事の合間をぬって出来たなと、とにかく驚きました。まさに身を削る思いだったのでしょうね。本当に頭が下がります。
■ 常に時代の先を行っていた!
HIDEさんは、生前とにかく誰もやったことがないことをやりたいという欲求が強かったようで、色々なことにチャレンジしていました。今でこそフジロックやサマーソニックなどの野外フェスは当たり前のように行われてますが、1990年代中ごろまでは本当に珍しかったようです。
そうした中、1996年に千葉マリンスタジアムでバンドの演奏だけでなく、スポーツやファッションショーなどを同時に行うイベントを行っています。また、インターネットで中継なども行っています。インターネット環境がまだ今のように整備されていなかった時代なので、相当リスクが高かったと思います。
しかし、途中中継が乱れることもあったようなんですが、無事成功させています。そして、いち早くホームページを立ち上げブログと掲示板も同時にスタートさせて当時大きな話題となりました。後に続く人たちのために自ら先頭に立って道を切り開いていったんですね。
■ 今でも熱烈なファンに愛され続けている!
2010年に築地本願寺行われた十三回忌法要では、何と3万5千人ものファンが献花台へ花を手向けに訪れました。長い列の中には10代と思われる女の子も沢山いました。
HIDEさんが残した楽曲は今現在も次の世代に受け継がれるかのように、HIDEさんが他界された当時にはまだ生まれていなかったような人達からも愛されています。こうしたHIDEさんのこうした素晴しいエピソードが語り継がれることを願ってやみません。
【画像】 Pinterest
「hide - MISERY」