
【 オードリー・ヘップバーンの24の言葉 】
(1)
魅力的な唇のためには、
優しい言葉を紡ぐこと。
愛らしい瞳のためには
人々の素晴らしさを
見つけること。
(2)
もちろん、わたしたちは
すべてを失いました。
家も、持ち物も、お金も。
でも、少しも悲しくは
ありませんでした。
家族全員が
無事に生きている、
そのことが何よりも
ありがたかったのです。
(3)
チャンスなんて、
そうたびたびめぐってくる
ものではないわ。
だから、
いざめぐってきたら、
とにかく自分のもの
にすることよ。
(4)
わたしを笑わせてくれる人を
わたしは大事にしますわ。
正直なところ、
わたしは笑うことが
何よりも好きなんだと思う。
悩ましいことが沢山あっても
笑うことで救われる。
それって、人間にとって
一番大事なことじゃないかしら。
(5)
どんな日であれ、
その日をとことん
楽しむこと。
ありのままの一日。
ありのままの人々。
過去は、
現在に感謝すべき
だということを
わたしに教えてくれた
ような気がします。
未来を心配して
ばかりいたら、
現在を思うさま
楽しむゆとりが
奪われてしまうわ。
(6)
これまでの人生で、
テクニックに裏打ちされた
自信を持ったことは
一度もありません。
でも、感性さえ磨いておけば、
どんなことでもやって
のけられるものです。
(7)
年をとると、人は自分に
二つの手があることに気づきます。
ひとつは自分を助ける手。
そして、もうひとつは
他人を助ける手。
(8)
幸福のこんな定義を
聞いたことがあります。
「幸福とは、健康と
物忘れの早さである」
ですって!
わたしが
思いつきたかった
くらいだわ。
だって、
それは真実だもの。
(9)
いばる男の人って、
要するにまだ一流でない
ってことなのよ。
(10)
オランダには
こんなことわざがあります。
「くよくよしてもしかたがない。
どのみち予想したとおりには
ならないのだから」
本当にそう思うわ。
(11)
一個の道具のように
自分を分析しなさい。
自分自身に対して
100パーセント率直で
なければなりません。
欠点を隠そうとせずに、
正面から向かい合うのです。
(12)
死を前にしたとき、
みじめな気持ちで人生を
振り返らなくては
ならないとしたら、
いやな出来事や
逃したチャンス、
やり残したことばかりを
思い出すとしたら、
それはとても
不幸なことだと思うの。
(13)
どんな人でも、
不安がきれいに
消えるということは
ないと思うの。
成功すればするほど、
自信は揺らぐものだと
思うこともある。
考えてみれば、
おそろしいことね。
(14)
戦争を経験して、
逆境に負けない強靭さが
身につきました。
また、戦争が終わって
戻ってきたものの
ありがたみを
つくづく感じました。
食料、自由、健康、家庭、
そして何より人の命に、
深い感謝の念を抱いたのです。
(15)
どんな日であれ、
その日をとことん
楽しむこと。
ありのままの一日。
ありのままの人々。
過去は、
現在に感謝すべきだ
ということを
わたしに教えてくれた
ような気がします。
未来を心配して
ばかりいたら、
現在を思うさま
楽しむゆとりが
奪われてしまうわ。
(16)
母から一つの
人生観を与えられました。
他者を優先しないのは、
恥ずべきことでした。
自制心を保てないのも、
恥ずべきことでした。
(17)
わたしにとって
最高の勝利は、
ありのままで生きられる
ようになったこと、
自分と他人の「欠点」を
受け入れられるように
なったことです。
(18)
いわゆる天賦の才に
恵まれていると
思ったことはないわ。
仕事を心から愛して
最善を尽くしただけよ。
(19)
子どもより
大切な存在なんて、
あるかしら?
(20)
何より大事なのは、
人生を楽しむこと。
幸せを感じること、
それだけです。
(21)
一番好きなことは
笑うこと。
人として最も大事なこと
じゃないかしら
(22)
愛情に怯えたりは
しません。
でも、愛情が
失われることには
怯えています
(23)
男女が愛し合う。
それはまず、
いつも理解しあうことから
成立するものだと思うの
(24)
愛は行動なのよ。
言葉だけではだめなの。
言葉だけで
すんだことなど
一度だってなかったわ。
私たちには
生まれたときから
愛する力が備わっている。
それでも筋肉と同じで、
その力は鍛えなければ
衰えていってしまうの...
− オードリー・ヘップバーン −

■ 強い家族の絆!
今回紹介させて頂いたオードリ・ヘップバーンさんの名言集いかがでしたでしょうか?。第二次世界大戦を生き抜いてからは、本格的にバレリーナを目指してロンドンへ...。当時母親と二人でロンドンで生活していたのですが、オードリーのお母さんはイギリス人ではありません。
どんなに頑張っても、下働き程度の仕事しか就けなかったため、暮らしは困窮を極めてました。この時期にオードリーは演劇での世界で生きていくことを決意します。そして、5年の時を経てローマの休日で世界的な成功を収めました。というと順風満帆のように思えますよね。
しかし、オードリー自身オランダでの生活が長かったため、オランダ訛りを克服するのに大変苦労したようです。しかし、持ち前の明るさと母親の献身的なサポートによって困難な道を切り開いていきました。
■ ローマの休日で大ブレイク!
そんなオードリーにビックチャンスが訪れます。名作『ローマの休日』の主役のオーデションです。とはいっても、当時のオーディションには英米の有名女優が名を連ねていたので、オードリーのような無名の若手女優に到底チャンスはないと誰もが思っていました。
しかし、オーディションの間オードリーと接した映画制作に携わるスタッフが皆彼女の魅力のとりこになります。彼らの強い要望によって、オードりがー見事主役に抜擢されたのです。この映画をきっかけにオードリーは、一夜にして世界的な女優の仲間入りを果たします。
バレエの道をあきらめ、家族の生活を支えるために女優として活動してから、人知れず色々な苦労を乗り越えてきたわけですが、やっぱり神様は見てるんですよね。
■ オードリーの美容と健康法が!
女優として活躍していた時代のオードリーは、あの抜群のスタイルを維持するためにそれ相当の努力をしていたと思われがちですが、意外にもかなりゆるかったようです。とはいっても元々バレリーナーを志望していたので、毎日バレーの基本練習とヨガを欠かさず行っていたようです。
そうそう、オードリーはお酒とタバコを一切やらないように見えますが、お酒は毎晩スコッチを飲み、タバコも1日6本(晩年はもっと吸っていたようです。)吸っていたようです。少し意外ですよね。また、大のパスタ好きで、毎日必ず食べていたので、ご家族の方もパスタ中毒ではないかと心配されていたようです。
基本的に食事は野菜類を中心に食べていたようなんですが、パスタをはじめ炭水化物が大好きだったのと、チョコレートは毎晩デザートとして必ず食べていたそうです。思わすこれなら私にも出来そうだと思ってしまった次第です。、

■ 仕事よりも家庭を優先!
これほどまでに大成功を収めながら、結婚・出産をきっかけに映画界をあっさり去ります。それだけ彼女にとって家族というのは大切な存在だったんですね。そういったオードリーの大女優らしからぬ人間らしさが個人的に大好きです。
今回のオードリーの名言で特に心に響いたのは以下の言葉です。
(3)
チャンスなんて、
そうたびたびめぐってくる
ものではないわ。
だから、いざめぐってきたら、
とにかく自分のものにすることよ。
(7)
年をとると、人は自分に
二つの手があることに気づきます。
ひとつは自分を助ける手。
そして、もうひとつは他人を助ける手。
今回オードリーの残してくれた素晴らしい言葉を読んで凄く明るい気分になれました。また、上の画像もそうなんですが、オードリーの笑顔には人をハッピーにする力がありますよね。
女性の全世代が支持!
読むことで美しくなる本 >>
Top 10 Most Iconic Audrey Hepburn & Givenchy Looks