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【 前を向け!ブルース・リーの名言 】
 
 
(1)
 
悲観的な考え方は、
成功を遠ざける。
 
楽観的な考え方は、
成功に導く信条である
 
 
(2)
 
重要なのは日ごとに
技量が増えることではなく、
減らすのを心掛けることだ。
 
つまり実質に関係ないものは
どんどん捨てることである。
 
 
(3)
 
成功とは、
真心を込めた真摯な態度で
何かをすることである
 
 
(4)
 
幸せであれ。
しかし決して満足するな
 
 
(5)
 
行動した者だけが
学ぶことが出来る
 
 
(6)
 
常に前を歩き続けろ
 
本当に人生を
愛しているなら、
時間を無駄にするな。
 
人生は時間でできて
いるのだから。
 
 
(7)
 
失敗を恐れるな。
 
失敗することではなく、
目標を低く掲げる
ことが罪なのだ。
 
大きな挑戦では、
失敗さえも栄光となる。
 
 
(8)
 
周囲を見ろ。
 
日々が勉強だ。
 
自分自身を研究するんだ。
 
 
(9)
 
知るだけっでは不十分。
応用しなくてはならない。
 
決意するだけでは不十分。
実行しなければならない。
 
 
(10)
 
鉄則を学び、
鉄則を実践し、
やがて鉄則を忘れる。
 
形を捨てた時、
人はすべての形を
手に入れる。
 
スタイルも
何も持たないとき、
人はあらゆるスタイルを
持つことになる
 
 
(11)
 
状況など気にするな。
機会は作り出せ
 
 
(12)
 
常に己であれ。
 
己を表現し、
己を信頼しろ
(13)
 
私が恐れるのは、
1万通りの蹴りを
1度ずつ練習した者ではない。
 
たった1つの蹴りを
1万回練習した者だ
 
 
(14)
 
簡単な人生を
願うのはやめろ。
 
困難な人生を
耐え抜く強さを願え
 
 
(15)
 
間違いは許せるものだ。
 
間違いだと認める勇気を
持っているのなら
 
 
(16)
 
考えすぎると、
成し遂げることが
不可能になる
 
 
(17)
 
厳しい状況でこそ、
チャンスを生み出せる
 
 
(18)
 
常に自分らしく、
自分を表現し、
自分自身を信じること。
 
成功した人物を探して
真似しようとするな
 
 
(19)
 
五感を目覚めさせ、
意識を高めろ。
 
そうすれば、
どんなことにも
備えることができるはずだ
 
 
(20)
 
曲がりにくい木ほど
非常に簡単に割れる。
 
だが竹や柳は風に任せて
身を曲げて生きる。
 
そこに注目すべきだ
 
 
(21)
 
勝ち負けを忘れろ。
 
誇りと痛みを忘れろ。
 
相手に自分を攻撃させ、
そして相手の肉を砕け。
 
相手に自分の肉を粉砕させ、
相手の骨を砕け。
 
相手に自分の骨を砕かせ、
相手の命を奪え。
 
逃げようと思うな。
 
命を失うことを恐れるな
 
 
(22)
 
役に立つものは吸収し、
そうでないものは捨てろ。
 
そして自分ならではの
ユニークな何かを付け加えろ。
 
 
(23)
 
不滅へのカギとは、
人々の記憶に値するような
人生を生きることだ
 
 
(24)
 
心を空にしなさい。
 
水のように、
形態や形をなくしなさい。
 
水をカップに入れると、
カップになる。
 
水をボトルに入れると、
ボトルになる。
 
水をティーポットに入れると、
ティーポットになる。
 
水は流れることができ、
衝突することもできる。
 
水になりなさい。わが友よ。
 
 
− ブルース・リー −
 
 
 
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■ 生後三か月で俳優デビュー!
 
 
今回は、ブルース・リーの名言を集めてみました。ブルース・リーは、 1940年11月27日 にアメリカはサンフランシスコのチャイナタウンにある病院にて生を受けます。その後しばらくして香港にもどります。アメリカ滞在中にブルース・リーは赤ん坊の役で映画に初出演を果たしています。
 
 
ちなみにブルースリーの国籍は中華民国(当時香港はイギリスの植民地だったためパスポートはイギリス)です。18歳のとき渡米してアメリカ国籍(米国で生まれて18歳まで滞在すると取得できる)を取得しています。
 
 
 
 
■ アジア系の俳優がハリウッドで大成功!
 
 
ブルース・リーのお父さんは香港で有名な俳優だったので、幼少のころからブルース・リーは映画やドラマに多数出演していましたが、10代のころはとにかく喧嘩に明け暮れていたので、素行の悪さが災いして高校生くらいになると出演が途絶えています。
 
 
その後渡米して、自ら主宰するジークンドー(ブルースリー自ら開発した格闘技)の道場の経営を経てアメリカでも俳優として活動するも、当時アジア系の俳優が主役に抜擢されることはありえなかったため、香港に帰国して俳優としてのキャリアを再スタートし、一躍大スターとなります。
 
 
アジアでの凄まじい人気に目をつけたハリウッドがブルースリーを主役に抜擢した「燃えよドラゴン」が世界的に大ヒットするも、当のブルース・リー本人は映画公開前に愛人宅で死亡しています。
 
 
 
 
■ アジア人のヒーローが世界で認められた!
 
 
私がブルース・リーを知ったときには、もうこの世にはいませんでしたが、何度も世界中でリバイバルブームが起きていました。今では日本や中国の俳優がハリウッドの映画に出演することも珍しくありませんが、1970年代前半にブルース・リーが主演するまでは、ほぼ皆無でした。
 
 
ブルース・リーの場合、「燃えよドラゴン」の資本がハリウッドでありながら、脚本から何から全ての工程をブルース・リーが監修しているので、一切の妥協がなく、その映画にかける情熱の凄さに圧倒されます。
 
 
 
 
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■ 不世出の天才!
 
 
香港に戻ってからたった2年で頂点に上り詰めたわけですが、その成功を自ら目にするまえに死んでしまったので、本当に悔やんでも悔やみきれないでしょうね。
 
 
生前ブルース・リーは、どんなに多忙であっても哲学書を中心に本を読み続けていたのだとか。どんなに成功しても、満足することなく、さらに上を目指す姿に脱帽です。
 
 
ちなみに今回のブルース・リーさんの名言で一番心に響いたのは(10)です。1人の格闘家、映画スターとして頂点に立った人の言葉は、やはり重みがありますね。
 
 
 
 
■ ストイックすぎる!
 
 
ブルースリーの死因はいまだ解明されていませんが、当時から「ハードなトレーニングのしすぎ」が死因の一つにあげられるほど、日々厳しすぎるトレーニングを行っていたようです。最近ではアクションを中心に出演している俳優でなくても、激しいトレーニングを行っていますが、当時は相当珍しかったようです。
 
 
ちなみにブルースリーは、ダンベルやバーベルの重量を上げたりせず、できるだけ軽めのものを使って、何百回もやるのだそうです。常にトレーニングを出来る環境にするために、家の中のいたるところにダンベルなどがおいてあったそうです。
 
 
燃えよドラゴンのときは相当体も絞られていたので、服を着たらきゃしゃに見えそうなものですが、スーツを着ても激しいトレーニングを積んでいる人の体にしか見えませんでした。体をいたわることも大切なんですね。
 
 

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