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【 つねに前へ!星野仙一の名言 】
 
 
(1)
 
当たり前の事を
当たり前にやるだけ、
ただし「本気」で
 
 
(2)
 
やるべきことだと
思っていることを、
 
本気になってやって
いかなければ
自分の人生も、
 
なにひとつ変わっていきは
しないのである。
 
本気か、
本気でないのかが
人生の分かれ道だ
 
 
(3)
 
夢中になれる仕事自体が
見つからないと
言うことに対して、
 
見つけることよりも、
やってみることが
大事なんだ。
 
少しでも好きに
なれそうな仕事に、
とりあえず
チャレンジしてみる
 
 
(4)
 
人を愛せ。
 
人を信じよ。
 
人を生かせ。
 
人を褒めよ
 
 
(5)
 
大変という意味は
大きく変わるということ。
 
ピンチはチャンスの前触れ。
 
大難を忍ぶ者は、
大善を引き起こす
 
 
(6)
 
弱気は相手を強気にさせる、
弱気は強気に押し切られる、
 
強気は弱気を制していく、
強気は強気を押し退ける
 
 
(7)
 
厳しさ7割、
 
優しさ3割。
 
これが本当の
愛情なのだと思う
 
 
(8)
 
一生懸命というのは
自分で決めるものではない、
他人に認められて
初めて一生懸命と
言えるんだ
 
 
(9)
 
「何がやりたいか分からない、
 自信が持てない」という
 不安定な気持ちに対して、
  
大切なのは、
自信があるか
ないかではなく、
 
自分の仕事に夢中になって
いるか否かだ。
 
自分の仕事に
馬鹿になれるなんて、
すごく幸せなことだ
 
 
(10)
 
迷ったら前へ。
 
苦しかったら前に。
 
つらかったら前に。
 
後悔するのはそのあと、
そのずっと後でいい
 
 
(11)
 
思いが強ければ強いほど、
勝利に近づいていく。
 
 
(12)
 
迷った時は前に出る。
 
勝負に懸けた時点で
「正解」なんや
(13)
 
いま、子供を叱れない、
生徒を叱れない、
部下を叱れない人がいる。
 
何やってんの。
 
叱ることが愛情だよ。
 
 
(14)
 
勇気を奮い立たせて、
毎日闘っていく。
 
弱みは絶対、
見せちゃいかん。
 
選手はいつも背中を
見てますから。
 
丸まった背中になったら
駄目なんです。
 
 
(15)
 
監督は孤独を
愛さないといけないし、
 
ストレスも愛さないと
いけない。
 
そんなネガティブなものに
対してお友達にならないと
駄目なんです。
 
 
(16)
 
差を埋めるのは
技術や戦術じゃない。
 
気持ちなんだ。
 
 
(17)
 
うちのチームは
育ちのいいやつが
多いんだな。
 
悪く言えば、
のんきなんだよ。
 
だからもうちょっと
やんちゃでいてほしい。
 
やんちゃ坊主でなきゃ、
最後まで強気で、
相手を見下ろして
戦うことは
できないのだから。
 
 
(18)
 
いい、悪いをハッキリ
しなければならない。
 
それをせずに、
なにかの拍子に気分で
怒るから変なことになる
 
 
(19)
 
もし夢に
挫折しそうな者がいたら、
 
あらゆる手段で
上を向かせよ。
 
その為なら鉄拳制裁も
やむを得ない。
 
それこそが
真の愛情である
 
 
(20)
 
どんな時でも過去ではなく、
未来をイメージし続けよう。
 
そのためにも、
目標に少しでも
近づけることを、
 
どんな時でも
確実にやっていこう。
 
その積み重ねが後になって
必ず役に立ってくる
 
 
(21)
 
勇気を奮い立たせて、
毎日闘っていく。
 
弱みは絶対、
見せちゃいかん。
 
選手はいつも背中を
見てますから。
 
丸まった背中になったら
駄目なんです。
 
 
(22)
 
人生を終えるとき
「ああ、夢にチャレンジして
 よかったな」と
 思えればいい
 
人生の9割以上が
そのプロセスであるのだから
 
 
(23)
 
大変という意味は
大きく変わるということ。
 
ピンチはチャンスの前触れ。
大難を忍ぶ者は、
大善を引き起こす。
 
 
(24)
 
迷ったら前へ。
苦しかったら前に。
つらかったら前に。
 
後悔するのはそのあと、
そのずっと後でいい。
 
 
− 星野仙一 −
 
 
 
 


星野仙一に学ぶ、
リーダーに必要な「決断力」>>

 
 
 
もう一度聞きたい「星野仙一が残した言葉」
 

 
 
 
■ 最後まで戦い抜いた偉大な闘将!
 
 
今回は、中日、阪神、楽天で監督を務めた闘将・星野仙一さんの名言を集めさせていただきました。星野さんは2018年1月4日に膵臓がんのため亡くなられました。日本全体が正月ムードが抜けきれない中あまりにも突然だったので誰もが驚きました。
 
 
2014年に楽天の監督を辞任されたときは椎間板ヘルニアと胸椎黄色靭帯骨化症を患っていましたが、糖尿病を早くから患っていたため、手術することが出来なかったようです。なんだかんだ20年以上病気と闘いながら指揮をとっていたんですね。
 
 
毎シーズン優勝を目指して戦い続けた闘将が残した言葉一つ一つに重みがあり、ずっしり心に響きます。
 
 
 
 
■ 助けを求められると断れない男の中の男!
 
 
星野さんは、岡山県出身なんですが、すでに中学生のころから投手として地元岡山では有名な選手でした。投手としてはまだ粗削りだったそうなんですが、とにかく大の大人が驚くくらい気迫のこもったピッチングでバッターに向かっていくので、中学生では手も足もでません。
 
 
そんな逸材ですから、当時すでにプロ野球選手になることは視野にはいっていたため、名門「倉敷工業高等学校」へ進学することを決めていました。しかし、なんとライバルの倉敷商業高等学の野球部の部長が自ら出向いて、「君の力で、倉商を甲子園に連れていってくれ」と頼み込んだようです。
 
 
野球部の部長さんの熱意におされる格好で、甲子園常連校の倉敷工業高等学ではなく倉敷商業高等学へ入学します。しかし、残念ながら夢にまで見た憧れの甲子園の出場は叶いませんでした。
 
 
 
 
■ とてつもない大きな愛情で人を育ててきた!
 
 
昨シーズン限りで阪神の監督を辞任された金本知憲監督は、2003年シーズン阪神のリーグ優勝の立役者ですが、もし星野監督が阪神の監督に就任してなければ阪神に移籍していないといったことを耳にした記憶があります。それだけ選手から信頼されていたのですね。
 
 
また、星野監督自らおっしゃってますが、7割の厳しさと3割の優しさこそが本当の愛情であると、先日某テレビ番組に昨シーズンで現役を引退された中日の山本昌さんが出演されていて、試合で打たれすぎたため何度かボコボコに殴られたようですね。
 
 
1度あまりにも顔が腫れすぎて、腫れが引くまで試合に登板できなかったようです。怒り方が半端ではなかったようなんですが、しかし、その後必ずチャンスをくれたことを山本昌さんは非常に感謝してました。
 
 
組織のリーダー、指導者がすべて星野さんのような熱血タイプの方だったら色々と大変かもしれませんが、一人くらいいてもいいですよね。