【日本の誇り!坂本龍馬の名言】
(1)
日本を今一度
せんたくいたし申候
(2)
人よりも一尺高くから
物事を見れば
道はつねに幾通りもある
(3)
世の人は
我を何とも言わば言え
我が成す事は我のみぞ知る
(4)
人間というものは、
いかなる場合でも好きな道、
得手の道を捨てては
ならんものじゃ
(5)
人として生まれたからには
太平洋のようにでっかい
夢を持つべきだ
(6)
金よりも大事なものに
評判というものがある。
世間で大仕事をなすのに
これほど大事なものはない。
金なんぞは
評判のあるところに
自然と集まってくるさ
(7)
世の既成概念を破る
というのが真の仕事である
(8)
人の世に失敗ちゅうことは、
ありゃせんぞ
(9)
そのことは
我が胸に成算がある。
やろうと思えば、
世に出来ぬことはない。
(10)
偏見を持つな。
相手が幕臣であろうと
乞食であろうと、
教えを受けるべき人間なら
俺は受けるわい。
(11)
人間はなんのために
生きちょるか知っちょるか?
事をなすためじゃ。
ただし、
事をなすにあたっては、
人の真似をしちゃいかん。
(12)
人間に本来、上下はない。
浮世の位階というのは
泰平の世の飾りものである。
天下が乱れてくれば、
ぺこぺこ剥げるものだ。
事をなさんとすれば、
智と勇と仁を蓄えねばならぬ。
人間、好きな道によって
世界を切り拓いていく。
(14)
おれは落胆するよりも、
次の策を考える
ほうの人間だ。
(15)
いったん志を抱けば、
この志にむかって
事が進捗するような
手段のみをとり、
いやしくも弱気を
発してはいけない。
たとえその目的が
成就できなくても、
その目的への道中で
死ぬべきだ。
(16)
俺は議論はしない、
議論に勝っても、
人の生き方は変えられぬ。
(17)
何でも思い切って
やってみることですよ。
どっちに転んだって人間、
野辺の石ころ同様、
骨となって一生を
終えるのだから。
(18)
四、五十人も
人数が集まれば、
一人ぐらいは異論家はいる。
いるのが当然でもある。
その一人ぐらいの異論を
同化できぬ己を恥じろ。
(19)
生きるも死ぬも、
物の一表現に過ぎぬ。
いちいちかかずらわって
おれるものか。
人間、事を成すか
成さぬかだけを
考えておればよい。
(20)
人間、不人気では
何も出来ませんな。
いかに正義を行なおうと、
ことごとく悪意にとられ、
ついにはみずから
事を捨てざるをえなく
なります。
(21)
地球を動かしているのは、
思想ではなく経済だ。
(22)
夢中で日を過ごしておれば、
いつかはわかる時が来る。
(23)
英雄とは、
自分だけの道を
歩く奴のことだ。
(24)
わずかに他人より優れている
というだけの知恵や知識が、
この時勢に何になるか。
そういう頼りにならぬものに
うぬぼれるだけで、
それだけで歴然たる敗北者だ。
− 坂本龍馬 −
■ 時代は大転換期!坂本竜馬が生きるヒントに!?
今回は、坂本龍馬の名言をまとめさせていただきました。坂本龍馬は私の好きな幕末志士の1人でして、壮絶な死を遂げるまでの人生があまりにもドラマティックであるため、過去に何度も映画化やドラマ化されています。
2000年に入ってからだけでもかなりの数になりますよね。個人的には司馬遼太郎の「竜馬が如く」で描かれていた坂本龍馬に夢中になったものですから、かなり司馬史観に偏ってしまっています。ですので、最近また近現代史から歴史の勉強をし直しているところです。
あらためて日本の魅力を再確認すると同時に今自分がこうして生きていられるのは先人たちのおかげであると痛感させられます。今まさに時代は転換期にあると思っていますので、幕末の偉人達の生き方が参考になります。知れば知るほど興味がつきません。
■ 龍馬は本当の剣豪だった?
坂本龍馬は、19歳のときに江戸の北辰一刀流・千葉定吉の道場にて最初の修行(1853〜54年)を行い、2年間のブランクを経て再び同道場で修業します。トータルで4年間修業したのですが、これまで龍馬の剣術の実力を示す資料ががほとんどありません。
唯一薙刀の免許皆伝のみだったので、龍馬の剣術の腕前を疑問視する声が小さくありませんでした。しかし、北辰一刀流から与えられた免許皆伝書が存在したことを示す史料が見つかり、龍馬の剣術に関する実力の凄さが無事証明されました。
龍馬の剣術修行を誰よりも喜んでいたのが兄の権兵です。龍馬が無事剣術の修行を終えて土佐に帰ってきたら考えて「城下で剣術の道場を開いてやろう」と考えていたようです。しかし、脱藩してしまったので、その夢は実現しませんでした。
■ 龍馬は若いころからモテモテだった!?
坂本龍馬の写真を見ると決してイケメンではありませんが、背が高くて(約178cm)剣術にも長け、しかも誰にでも優しかったので、女性にはモテモテだったようです。千葉道場で修行していた時は、道場主の千葉定吉の愛娘千葉さな子と相思相愛の関係になります。
しかし、龍馬は弟子の身をわきまえていたので、自分から告白することはなく、逆にさな子の方から思いを告げるも、結婚には至りませんでした。しかし、さな子は龍馬の許嫁と思い続け、生涯独身を貫いてます。モテモテだったのは間違いないようなんですが、女性の扱いは下手だったようです。
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「坂本龍馬」知ってるつもり