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【己の道を突き進む!竹中直人の名言】
 
 
(1)
 
27歳のときに
お笑いでデビューした私にとって、
30代は本格的に演技というものに
取り組み始めた時期でした。
 
多くの映画やドラマ、舞台に出演し、
ときには自分が映画監督も務めました。
 
そういう経験ができたのは、
素晴らしい人たちとの
出会いのたまものだと
思っています。
 
 
(2)
 
常に人は、いろんなことに、
不安なんじゃないかな。
 
 
(3)
 
落ち込むことって才能だよね。
 
落ち込まない人は
それでいいと思っているから、
決して今より上にはいけない。
 
才能があるから落ち込むんでしょ。
 
 
(4)
 
理由なんていらない。
 
「だって好きなんだもん」でいい。
 
 
(5)
 
「努力」だとか「一生懸命」も
思いのエネルギーみたいなもので、
心がけようと思って
できるものではないんです。
 
ふと気がつくと周囲の人から
「努力したね」、
「一生懸命やってるね」
 と評価される。
 
そこで初めて
自分は努力したんだ、
気づくだけのこと
 
 
(6)
 
自信なんか持ってみろ
ろくなことないぞ!
 
 
(7)
 
楽しい時間は
長くは続かないように、
良かれ悪しかれ、
いまの状況は
ずっと続くものでは
ありません。
 
 
(8)
 
「君は10年早い」という言葉、
 僕は嫌いなんです。
 
何十年も生きていても、
悟るほどの境地には立てない
 
 
(9)
 
30代から現在まで、
私がいつも思い続けてきたのは、
「なんとかこの仕事を
 ずっと続けていきたい」
 ということです。
 
「成功したい」と
考えたことはありません。
 
 
(10)
 
私は、子供のころからずっと
「楽しい時間ほど長く続かない」
と思ってきました。
 
そのせいか、
ある程度自分が認められると、
逆に不安になってくるのです。
 
「カット!ハイ、オッケーです!」
という声を聞くたびに、
 
何か自分の輪郭が
ぼやけていくような
感覚を覚えました。
 
そうして、
「このままではいけない。
 闘わなくては」
 
と思うようになったのは、
30代の終わりが近づいた
ころのことでした。
 
 
(11)
 
どんな仕事も
スケジュールが合えば断らない。
 
「いい役者になろう」
 
「50代だからこれをやる」
 
「そろそろ仕事を選んでいこう」
 
という発想が嫌いなんです。
 
年齢やキャリアなんて関係ない。
 
いつだって、どんなにくだらないと
思うことでも平気でできる
人間でいたい。
 
 
(12)
 
逆説的ですが、
「いい状態」をできるだけ
長く保つためには、
 
そこに留まる姿勢ではなく、
変化を求めることこそ
必要なのではないかと思います。
 
 
(13)
 
まずは最初の「観客」である
スタッフを楽しませること
 
 
(14)
 
観客は残酷。
 
舞台は直に反応が
返ってくるので怖い
 
 
(15)
 
自分みたいな
役者いなくなったって
誰も困らない
 
 
(16)
 
人を馬鹿にして笑うような
構造はダメだと思う
 
 
(17)
 
ぼくは意外に控えめな性格
なんですがね(笑)。
 
そしてすぐに落ち込む性格。

デビューした時も、
あまりにみんなが
面白いと言うので、
一年で消えてしまうと
思っていた。
 
 
(18)
 
いろんな方の
一つひとつの言葉だったり、
表情だったり、
 
そういうものが積み重なって
今の自分を支えてくれている
んだなァと思いますよね。
 
 
(19)
 
ふと思いかえすと、
そういう大変なことって、
気が付くと愛せるものに
変わっているんですよね。
 
どんなに愛せない
ものであっても、
終わってしまうと
愛せるものになっている。
 
だから、何の問題も
ないんですけどね。
 
 
(20)
 
役なんて作れる訳がない
 
僕は「役作り」って
言葉が嫌いです。
 
役者が「役作り」して
どうするんだよっていうのは、
僕の中にはあります。
 
 
(21)
 
何も考えず
まっさらな状態で進めば
最終的に何らかの結果に
到達できる
 
 
(22)
 
人生も映画も先が読めない
1シーン1シーンの
積み重ねが楽しいんです
 
 
(23)
 
「監督」「役者」は
ただの肩書き
 
人を大切に思う気持ちが
チームワークを生み出す
 
 
(24)
 
多くの不安の中で
ずっとやってきましたが、
人との出会いが
自分を支えてきた。
 
その出会いの中から
何かが生まれるという流れは
ずっと変わっていないと
思います。
 
 
 
− 竹中直人さん −
 
 
 
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■ 松田優作の物まねで世に出るも...
 
 
今回は、俳優の竹中直人さんの名言をまとめさせて頂きました。竹中さんは最初俳優ではなく、ピンのお笑い芸人としてキャリアをスタートさせています。松田優作さん、遠藤周作さんらのモノマネや笑いながら怒る男などで1980年代初頭に人気を博しました。
 
 
残念ながら当時の記憶はないのですが、当時竹中さんは30歳になるかならないかくらいの年齢に達していて、竹中さんいわく、超貧乏な下積み生活から脱することが出来て本当に嬉しかったようです。
 
 
しかし、その後松田優作さんに呼び出されて、「ぜったいにお前を許さないからな...」と、こっぴどく絞られたようです。本気で殺されるかと思うくらい怖かったようですよ。
 
 
 
 
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■ はじめて食べたいくらの美味しさに衝撃を受ける!
 
 
ちょうど売れ出したころに作家の景山民夫さん(1998年に死去)にイクラ丼をごちそうになったそうなんですが、竹中さんはいくら丼のあまりのおいしさに感動するも、いくらをそのとき初めて知ったことを景山さんに告白し、景山さんは衝撃を受けたようです。
 
 
景山さんは当時人気の放送作家で、それまで色々なタレントさんと接していたわけですが、竹中さんより貧乏だった人は見たことがなかったようです。その後竹中さんは自身の原点に立ち返り俳優としてのキャリアをスタートさせます。
 
 
色々迷いもあったと思うのですが、ギャラの良いテレビの仕事を断って、俳優としての仕事一本に専念したことで、今日の地位を築いています。
 
 
 
 
■ 憧れの松田優作さんのカッコよさに衝撃を受ける!
 
 
松田優作さんのモノマネで人気が出始めたころに、原田芳雄さんのライブを観に行き、ライブ終了後に楽屋に原田芳雄さんに挨拶に行くと、原田芳雄さんから打ち上げに誘われ、大先輩の誘いを断ることなどできるはずもなく、とことこついていくと、打ち上げの場に憧れの松田優作さんも同席していたそうです。
 
 
松田優作さんの周りには沢山の人が群がっていたので、挨拶もきちんとできなかったそうなんですが、こともあろうに原田芳雄さんから「優作のモノマネをやれ」といわれ、「ご本人を目の前に出来ません」とやんわり断ったそうなんですが、原田さんの「いいからやれ!」の一言にビビッて仕方なくやることに。
 
 
得意の「なんじゃこりゃ〜」で打ち上げに来ていた人たちは大爆笑、すると松田優作さんがものすごい形相で竹中さんのもとに歩み寄り、手を差し出してきたので、「あっ殴られる」と思った瞬間に松田優作さんから「ずっと観てました!愛してます」と笑顔で言われたそうです。松田優作さんのカッコよさと人間の器の大きさにしびれたそうですよ。
 
  
 
 
「 竹中直人 」