あなたの時間は限られている。
だから他人の人生を生きたりして
無駄に過ごしてはいけない。
ドグマ(教義、常識、既存の理論)
にとらわれるな。
それは他人の考えた結果で
生きていることなのだから。
他人の意見が雑音のように
あなたの内面の声をかき消したり
することのないようにしなさい。
そして最も重要なのは、
自分の心と直感を信じる
勇気を持ちなさい。
それはどういうわけか
あなたが本当になりたいものを
すでによく知っているのだから。
それ以外のことは、
全部二の次の意味しかない。
− スティーブ・ジョブズ −
■ ゲーム業界でキャリアをスタート!
スティーブ・ジョブズは、大学をたった半年で中退し、1974年に当時創業したばかりのゲーム会社「アタリ」にテクニシャン(下級エンジニア)として採用され、40人目の社員として、技術部長であるアラン・アルコーンの下で働いた。
ジョブズは、約8,000ドルの利益を手に、多忙で商談ができなかったブッシュネルの紹介で出会ったマイク・マークラに、起業の話を持ちかける
1978年、Apple IIを打ち破る次世代パーソナルコンピュータとして、Lisa(リサ)・プロジェクトが立ち上げられた。リサという名前は、ジョブズが当時付き合っていた女性との間にできた子供の名前(リサ・ブレナン・ジョブズ)からつけたといわれています。
■ IPOで莫大な資産を手に!
1980年、アップルはIPO(株式公開)を果たし、750万株を持っていたジョブズは、2億ドルを超える資産を手にした。
ジョブズは、会社内での独断専行の立ち居振舞いから、社長のスコットによって、Lisaプロジェクトのメンバーから外されてしまう。行き場が無くなったジョブズは、1981年、突如としてMacintoshプロジェクトに参画を表明しました。
ジョブズは、Macintoshにはシンプルな美しさが必要だと考え、基板パターンが美しくないという理由で、設計案を幾度となく却下しています。
■ Macintoshの大失敗で会社を追われる
1984年後半、ジョブズは、Macintoshの需要予測を大幅に誤り、アップルは、Macintoshの過剰在庫に悩まされた揚げ句に、初めての赤字を計上してしまう。そしてアップルは、従業員の1/5にあたる人数のリストラを余儀なくされました。
アップルでの仕事がなくなったジョブズは、新たなプロジェクトすら立ち上げられない状況にとどまることに絶望してしまう。ジョブズは700万ドルをNeXTに投資し、1987年までには新しい製品が投入できるともくろんでいたのです。
NeXT社の仕事の一方で、ジョブズは、1986年2月7日に、ルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を1000万ドルで買収し、自らCEOに就任します。
■ ついに結婚!再びアップルの経営に参画!
1991年、スタンフォード大学のMBAで学んでいた9歳下のローレン・パウエルと結婚し、3月8日にヨセミテ国立公園のホテルで挙式、同年の9月には息子のリードが生まれた。
1995年末、ジョブズは、友人でオラクル創業者のラリー・エリソンと、共同で経営の傾いたアップルの買収を画策する。
ジョブズは、経営の実権を奪取すべく、社内で隠密に行動を開始し、アメリオを追い出すための画策を講じる。「アメリオはいまだにアップルの業績を向上させられない」として、すべての役員を味方につけ、彼をCEOから引きずり下ろすことに成功する。
■ 重度の肝疾患に!
2000年には、それまで拒否していたCEO就任を、正式に受諾。2001年3月、NeXTとAppleの技術を融合させ、オープンソース由来の技術を積極的に取り込んだMac OS Xを発売。従来のMac OSの後継とした。
2004年、膵臓ガンと診断されたが、幸いにも治療可能なガンであったにもかかわらず、東洋思想に傾倒したため、民間療法でがん治療を試みるも、数か月ごにガンが大きくなっていることがわかり、ごく親しい人以外には秘密にして、同年8月に摘出手術を受ける。
2011年1月18日、病気を理由に休職することが発表された。すでに重度の肝疾患を患っていたため、医師からも見放されていた。2011年8月24日、取締役会に辞表を提出してCEOを辞任します。そして、同年10月5日56歳の若さで死去しました。
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【画像】 Pinterest
「スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞」