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『第一条』
 
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、
ことを行ってはいけない。
 
 
『第二条』
 
しないではいられないことを
し続けなさい。
 
 
『第三条』
 
他人との比較ではない、
あくまで自分の楽しさを追及すべし。
 
 
『第四条』
 
好きの力を信じる。
 
 
『第五条』
 
才能と収入は別、
努力は人を裏切ると心得よ。
 
 
『第六条』
 
怠け者になりなさい。
 
 
『第七条』
 
目に見えない世界を信じる。
 
 
− 水木サンの幸福論より −
 
 
妖怪も裸足で逃げる!
水木しげるさんの人生が凄い

 
 
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■ 90代でありえない食欲!
 
 
ゲゲゲの鬼太郎の生みの親で漫画家の水木しげるさんは、2015年11月30日に多臓器不全で亡くなる(享年93歳)まで現役であり続けました。2014年に91歳で新連載(ビックコミック、「わたしの日々」)をスタートさせたときは大きな話題となりました。
 
 
生前水木さんは、とにかく何でも食べまくる人だったようで、豪快に食べる姿を見て多くの人が「妖怪並み」と驚愕させたようです。ちなみに子供のころから大食漢だったようです。
 
 
 
 
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■ 戦争で左腕を失う!
 
 
1943年、当時21歳だった水木さんは激戦地となっていたニューブリテン島ラバウルへ出征、現地で空襲に遭い、左腕を失いました。水木は短剣とふんどし一丁でジャングルを数日間逃げ惑い、落ち武者狩りをやりすごしながら、奇跡的に生還したようです。
 
 
戦地で何度もマラリアに感染したようで、本人曰く「私はまた、しょっちゅうマラリアになっているから、だから頭はやっぱり良くないんじゃないかな。」と、おっしゃっています。
 
 
しかし、記憶力(ただし道はなかなか覚えられなかったようです)は半端ではなく、脳内で映像として再生する力がとくにすごかったため、これが漫画家として大いに役立ったようです。
 
 
 
 
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■ 長かった下積み生活!
 
 
戦争から帰ってきて、生活のために画家としての道を諦めます。元々描くことが好きだったので、紙芝居作家を経て貸本漫画で漫画家としてのキャリアをスタートします。
 
 
漫画家として成功されるまでの下積み生活は本当に大変だったようです。貸本漫画の原稿料は少年誌とは比較にならないほど安いうえに本にならないと原稿料がもらえないので、オファーを受けながら原稿料が支払われないこともしばしばあったようです。
 
 
当然生活は困窮していました。家は持ち家だったので家賃は支払わなくてよかったのですが、奥さんがどんなにやりくりしても、家計は毎月赤字なので、光熱費にまでお金が回りません。なので電気、水道は何度も止められていたようです。
 
 
 
 
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■ ゲゲゲの鬼太郎で人気漫画家の仲間入り!
 
 
代表作としては『ゲゲゲの鬼太郎』、『悪魔くん』、『河童の三平』などがありますが、『ゲゲゲの鬼太郎』は、国内外で広く愛された作品です。過去に何度もリメイクされシリーズものとして放送されています。
 
 
水木しげる先生は、長らく貸本専門の作家として活動していたのですが、当時は「少年ジャンプ」や「少年サンデー」などの漫画雑誌が創刊され、貸本は衰退の一途を辿っていたため、仕事がさらに減り、より厳しい状況に追い込まれました。
 
 
そんな折、当時創刊したばかりの「ガロ」という漫画雑誌から連載オファーを受けて、ようやく時代の波に乗ることができました。その後他の出版社からも連載をオファーを受けて、複数の連載を抱える人気漫画家の仲間入りを果たします。
 
 
 
 
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■ 睡眠は最高の健康法!
 
 
水木しげる先生は、とくに運動らしい運動はしていなかったようなんですが、とにかく寝るのが大好きだったようで、9時間から10時間寝るのが普通で、すこし疲れがたまると12時間以上寝ることも珍しくなかったのだとか。
 
 
漫画家として全盛期にあったころでも、必ず寝ていたようです。また、忙し過ぎて徹夜続きだった手塚治虫先生と石ノ森章太郎先生に対し、「だから二人は早死にしちゃったんだな」と晩年のインタビューで語っています。
 
 
 
 
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■ 郷土愛がすごい!
 
 
水木さんは、鳥取県境港市入船町の出身なんですが、郷土愛が非常に強いんです。それに応えるかのように市と市民による最大限のバックアップによって、1996年に鳥取県境港市に水木しげるロードが敷設されます。今では、同市にとってなくてはならない貴重な観光資源となっています。
 
 
驚くべきことに同市にある「水木しげる記念館」の入館者数も平均して毎年20万人前後訪れるようです。水木しげる先生の根強い人気の高さが伺い知れますね。
 
 
 
「好きなことだけしていた」
 

 
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