
『 美輪明宏の良い人間関係を作る方法 』
(1)
人間関係で一番大事なのは、
腹八分ではなくて腹六分。
夫婦、恋人、親子、仕事関係、
すべて腹六分でお付き合いを。
親しき仲にも礼儀あり。
(2)
人の悪口を言えば
自分も不愉快になる。
嫌な人はどこにでもいます。
見ざる 聞かざる 言わざるが楽。
(3)
自分に思いやりが
足りない人ほど
相手に思いやりを求める。
自分の言葉が
相手を傷つけていないか、
まず反省してみる事。
(4)
心が悪くなる事もある。
しかし、そこで反省すればいい。
その繰り返しで魂は向上していく。
(5)
言葉が足りないのは
本を読まないから。
美しい言葉に触れ
素敵な表現を自分の中に
ストックする。
意思の疎通は言葉ありき。
(6)
嫌な思いをすると、
やり返したくなるもの。
優しさで帳消しにすれば、
自分が気持ちいい。
(7)
清き川に清き水は流れる。
心が美しい人と
付き合いたければ、
まず自分の心を磨くこと。
(8)
どんなトラブルが起きても
微動だにしない。
そんなレベルに達するまで
人生の修行は続きます。
弱音を吐かず覚悟を決めて。
− 美輪明宏 −
■ 強烈な被爆体験!

美輪明宏さんの実家は、長崎市内の「丸山遊郭」と呼ばれた遊郭街で、『世界』という名前のカフェを経営していました。開店当初は大繁盛していたのですが、開戦後しばらくして「敵性文化を商売にする事は時局にそぐわぬ」という理由から、カフェを閉店し、金融業に転業します。
1945年8月9日、美輪さんは縁側の机で夏休みの宿題の絵を描いて、絵の出来を見ようと椅子から立ちあがり後ろに下がった瞬間に、米軍により投下された原爆による凄まじい光に包まれ、大音響、地響き。瓦が落ち、窓ガラスが飛び散った。
家の外にでるとそこは地獄絵図のような状態で、髪がずるりと抜けた人、服なのか皮膚なのか判別がつかないほど焼けただれた人。理性的な行動をしている人は誰もいなかったそうです。美輪さん自身も長い間抜毛や吐血など放射能の後遺症に苦しみます。
■ 歌手を夢見て上京!

終戦後、当時唯一の娯楽だった映画を観に行き、主題曲などを歌う加賀美一郎少年の美しいボーイソプラノに衝撃を受け、歌手になることを決意します。そして、1951年の春に国立音楽大学付属高等学校進学するために15歳で上京します。
しかし、実家の事業が失敗し、破産したため学校を中退することに、無一文となったため、しばらくホームレスのような生活を余儀なくされたそうです。ビルとビルの間に身を隠すようにしながら寝ていたようなんですが、布団がわりに新聞を体にかけて寝ると、目を覚ますころには盗まれてしまうのだとか。
■ 銀巴里で歌手デビュー!

銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』の美少年募集の張り紙を偶然目にし、簡単なオーディションを受けて銀巴里との専属契約を交わし、念願の歌手デビューにこぎつけます。国籍・年齢・性別不詳として売り出すも、この路線が大当たり、銀巴里のスター歌手になります。
銀巴里ではシャンソンを中心にタンゴ、ラテン、ジャズを歌っていたようなんですが、レコードデビューしていないにもかかわらず、日劇(スターだけが立てる劇場)やテレビ、ラジオから出演依頼が殺到してたようです。
そして、「メケメケ」でレコードデビューします。当時22歳の美輪さんは、マスコミに「神武以来の美少年」と取り上げられ、全国的にその名が知られるようになり、一気にスターダムにのしあがります。
■ ジャンルを問わず幅広い人たちと交流し独自の世界を演出!

美輪明宏さんの男女を超越した美しさと才能にほれ込んだ文化人は多く、中でも三島由紀夫さんは公私にわたって何かと美輪さんの面倒をみていたようなんですが、当時すでに三島さんには奥さんも子供もいたにもかかわらず、家庭をほったらかしにして美輪さんに会いにいっていたようなので、かなり親密な関係であったことは間違いないようです。
美輪さんの年々エスカレートする奇抜のファッションは大手メディアからは批判されることも少なくありませんでしたが、当時第一線で活躍されているデザイナー、写真家から絶賛されていたので、歌の世界だけでなく、ファッションの世界でも人脈を広げていったことで、舞台で独自の世界を演出するのに大いに役立ったようです。
また、美輪さんは幼少のころから世界中の文学に触れていたので、舞台の演出や脚本にその優れた才能を存分に発揮しています。美輪さんほどの才能があれば、小説家として成功ことも十分可能だったはずなのですが、小説は今のところゼロです。
■ 美輪さんが髪を金髪にしている理由とは?!

美輪さんといえば「金髪」、金髪とえば「美輪明宏」というくらい、金髪がここ最近の美輪さんのトレードマークとなっていますよね。美輪さんが金髪に髪を染めるようになったのは、60代後半に入ってからです。当時の美輪さんは体調不良に長期間悩まされていて、仕事も決して順調ではありませんでした。
個人事務所の運営・管理や主催する演劇を講演するためには沢山のお金が必要になりますが、当時の美輪さんは、働きたくても仕事を抑えなければならない状態にあったため、収入も安定しません。そこで当時わらにもすがる想いで、思い切って髪の毛を金髪に染めました。
その理由は風水で金色は富の象徴的カラーとされていて、髪の毛を金髪にすればお金回りが良くなるとお本気で思っていたようです。しかし、その後メディアで話題となって再びメディアでの仕事が増えます。そうこうしているうちに体調不良も自然と治ったようです。
そして、江原啓之さんとコンビを組んでMCを務めたテレビ朝日系列の人気番組「オーラの泉」で4度目の大ブレイクを果たします。それからかれこれ15年以上たっていますから、金髪は本当に幸運を引き寄せる効果があるのかもしれませんね。<つづく>
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「人付き合いは腹六分にしなさい」