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【笑いへの情熱がすごい!いかりや長介の名言】
 
 
(1)
 
ギャグというものが、
本質的に、演じる側の
キャラクターや
 
間の取り方に
負うところが大きい
 
 
(2)
 
高木ブーを
自分でやめさせようと
思ったことは一度もない
 
 
(3)
 
笑いをとるというのは
本当にむずかしい。
 
頭の中では面白いギャグが
できたとおもっても、
 
実際やってみると、
ちっとも笑えない
ことが多い
 
 
(4)
 
役者は自分の
生き様も芸もふくめて、
 
見ている人に
勇気を与えたりできる
 
 
(5)
 
笑いは客の心理を
読まないと成立しない
 
 
(6)
 
オイーッス!
 
 
(7)
 
だめだこりゃ!
 
 
(8)
 
次いってみよー!
 
 
(9)
 
荒井が抜けたとき、
ドリフの笑いの前半は
終わったという気がする
 
 
(10)
 
俺のネタを研究した後、
計算された笑いの一石として
役立てて欲しい。
 
リーダーは活ける師なり
 
 
(11)
 
遠くない未来に、
素人いじりや
他人をこき下ろす
 
コメディが
この世からなくなる
ことを信じている
 
 
(12)
 
能力を持った者には、
それを正しく
行使する責務がある。
 
志村にはコントの発展に
挑んでもらいたい
(13)
 
これからのコントの復活は、
綿密な企画立案、
 
それとライブの復活に
かかっている。
 
俺は、志村が
その一翼を担える
 
数少ない芸人であると
信じている
 
 
(14)
 
志村へ
 
この手紙をもって
俺のコメディアンとしての
最後の仕事とする
 
 
(15)
 
疲れるほど働くな、
次がある
 
 
(16)
 
正しいことを
したかったら偉くなれ
 
 
(17)
 
この仕事は
憎み合いじゃない、
助け合いなんだ
 
 
(18)
 
もう、てめぇの
命令なんか聞けるか!
 
俺たち下っ端はなぁ、
あんたが大理石の階段を
上っている間、
 
地べた這いずり回ってんだ。
 
文句も言わず
命令どおりになぁ!
 
これ以上若いもんを
傷つけないでくれ・・・
 
 
(19)
 
芸能界で
世話になったのだから、
芸能界に恩返ししなさい
 
 
(20)
 
自分の思いついたギャグを、
笑ってもらえる
完成品にするには、
 
大変な努力と練習を要する。
 
ひとつタイミングが
ずれただけで、
 
笑えるはずのものが
笑えなくなってしまう。
 
 
(21)
 
テレビでの笑いは、
古典落語のように
 
「あいつの『らくだ』は
いつ聞いてもいいね」
とはならない世界なのだ。
 
飽きられるのが早く、
常に新鮮さを求められる。
 
 
(22)
 
ドリフの笑いの成功は、
ギャグが独創的であった
わけでもなんでもなくて、
 
このメンバーの位置関係を
作ったことにあるとおもう。
 
もし、この位置関係が
なければ、早々にネタ切れ
になっていただろう。
 
 
(23)
 
お笑い芸人でありながら、
多数の人を泣かせて
旅立ったことを、
心より恥じる
 
 
(24)
 
『ありがとう』を言える
 人間になりなさい。
 
『ごめんなさい』を言える
 人間になりなさい。
 
 嘘をつくような
 人間にはならないこと
 
 
− いかりや長介 −
 
 
 
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■ ミュージシャンとしてキャリアをスタート!
 
 
今回は、いかりや長介さんの名言をまとめさせていただきました。いかりや長介さんは、晩年は「踊る大捜査線」「GOOD LUCK!!」などで味のある渋い演技を披露する名わき役として活動されていましたが、もともとはミュージシャン(笑いなし)として活動していました。
 
 
地元静岡で工場で働きながらベーシストとして活動したのち、プロのミュージシャンとして成功するのを夢見て28歳の時に上京して、音楽活動を本格化させるも、すぐにベーシストの仕事にありつけるはずもなく、最初の1〜2年は、かなり苦労したようです。
 
 
そして、31歳のときにドリフターズに加入するのですが、このころはリーダーは別の方がやっていて、幾度となくメンバーチェンジを繰り返しながら、いかりやさんが3代目のリーダーとなって、お笑いの要素を強めていきます。
 
 
 
 
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■ 『8時だョ!全員集合』で国民的スターに!
 
 
ビートルズの前座を務めたり、当時同じ事務所の看板スタークレージーキャッツの映画やテレビ番組に出演しながら、徐々に人気を高めていきます。そして、人気を不動のものにしたのが、1969年に放送開始された『8時だョ!全員集合』です。
 
 
社会現象を巻き起こすほどの、大人気だったのだとか。このときすでに40歳くらいなので、苦労に苦労を重ねてようやく成功したわけですが、さすが苦労人だけあって、番組制作は本当にシビアだったようです。
 
 
打ち上げは、お通夜のように静まりかえった状態の中で淡々と反省会が行われ、新参者の放送作家は、その雰囲気に耐えられず、1時間もしないで逃げ出してしまったそうです。企画会議も同様で、いかりやさんが納得しないかぎり、一歩も進まなかったのだとか。
 
 
ドリフターズのコント映像は、Youtubeでも見れますが、舞台装置に色々な仕掛けがあって、それにあわせてドリフのメンバーが面白おかしく演じていると勝手に思ってましたが、その裏には想像を絶するほど「笑い」に対する強い思いがあったんですね。
 
 
 
 
■ いかりやさんを襲った原発不明頚部リンパ節がんとは!?
 
 
いかりやさんの死因は、原因不明頚部リンパ節がんです。頚部リンパ節がんの主な症状は、は頚部やわきの下、股の付け根のリンパ節の腫れやしこりに伴った神経圧迫による痛みや発熱、全身倦怠感や体重減少、寝汗やかゆみなどです。
 
 
しかし、頚部リンパ節がんを含む悪性リンパ腫の場合、腫れやしこり自体に痛みが生じないことも多く、そのまま放置してしまうケースが少なくないようです。異変を感じて病院を受診するころには、かなり危険な状態にまで進行しているケースが多いのだとか。
 
 
また、治療法に関しては、外科的手術ではなく放射線療法や抗がん剤を中心とした薬物療法が基本となります。生前いかりやさんは、がんであることを隠しながら仕事を続けていたため、忙しい合間をぬって治療を受けていました。恐らく相当辛かったと思います。
 
 
いかりやさんと長年親交がある歌手の由紀さおりさんが、病院でいかりやさんにたまたま偶然会ったときに、話をしたそうなんですが、今までみたことがないくらい弱気だったようです。
 
 
 
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いかりや長介のベース その2