【強すぎる!樹木希林の名言】
(1)
やったことが
ほんのわずかだもの。
やり残したこと
ばっかりでしょう、きっと。
一人の人間が
生まれてから死ぬまでの間、
本当にたわいもない人生だから、
大仰には考えない
(2)
靴下でもシャツでも
最後は掃除道具として、
最後まで使い切る。
人間も、十分生きて
自分を使い切ったと
思えることが、
人間冥利に尽きるという
ことだと思う。
自分の最後だけは、
きちんとシンプルに
始末することが最終目標
(3)
私は「なんで夫と別れないの」と
よく聞かれますが、
私にとっては
ありがたい存在です。
ありがたいというのは
漢字で書くと「有難い」、
難が有る、と書きます。
人がなぜ生まれたかと言えば、
いろんな難を受けながら
成熟していくためなんじゃ
ないでしょうか
(4)
私、とにかく今、
一人でやっているでしょ。
ここに来るのも一人、
何をするのも一人。
誰かに頼むと
その人の人生に
責任を持てないから
(5)
内田裕也の全てが、
好きです。
全てが...
(6)
人がうれしかったりした時に、
泣くことが多いわね。
悔しい、悲しい、
で泣いたことはないわね。
「なんてすてきなことを言うんだ」
っていう時に泣けてくるね
(7)
がんはありがたい病気。
周囲の相手が自分と真剣に
向き合ってくれますから。
ひょっとしたら、
この人は来年はいない
かもしれないと思ったら、
その人との時間は大事でしょう?
そういう意味で、
がんは面白いのよ
(8)
夫1人だけ、
奈落の底に落として、
自分だけ保身という
ことはしません
(9)
みんなね離婚してね、
次にいい人と出会ってる
つもりでいるけど、
似たようなもんなのね。
ただ辛抱が効くように
なっただけで...
(10)
病を悪、健康を善
とするだけなら、
こんなつまらない
人生はないわよ
(11)
(手相鑑定のさいに
人生の中で起こりうる
様々な障害をあらわす
「障害線」が沢山あると
言われたさいの感想)
それを障害と見るか、
自分が乗り越えて人間として
豊かになると見るか
...ですよね
(12)
今日、用事があることを
『今日用(きょうよう)』と
言っているんだけど、
神さまがお与えくださった
『今日用』に向き合うことが
毎日の幸せなのよね。
『今日用』をこなす事が、
人生を使い切ったという
安堵につながるんじゃない
どれだけ人間が生まれて、
合わない環境であっても、
そこで出会うものが
すべて必然なんだと思って、
受け取り方を変えていく。
そうすると成熟していくような
気がするのよね。
それで死に向かって
いくのだろうと思う。
でも人間ってだらしないから、
あんまりいい奥さん、
あんまりいい旦那さん、
いい子供で楽だと、
成熟する暇がないっていうか
(14)
結婚なんてのは
若いうちに
しなきゃダメなの。
物事の分別がついたら
できないんだから。
(15)
がんをやっつけようとすると、
へばるとわたしは
思ってるから、
『薬出しますか?』
って言われても、
いらないって言う。
薬飲んで寝ついてたら、
もっともっと、
がんが増えると
思うのよね。
闘うっていう
感覚がないんだね。
生活の質を下げないで、
自然にいるような
道を見つけよう
という生き方なの
(16)
求めすぎない。
欲なんてきりなく
あるんでるから。
「もっと、もっと」
という気持ちを
なくすのです。
(17)
あのね、
年をとるっていうのは
本当におもしろいもの。
年をとるっていうのは
絶対におもしろい現象が
いっぱいあるのよ。
だから、若い時には
当たり前にできていたものが、
できなくなること、
ひとつずつを
おもしろがってほしいのよ
(18)
この年になると、
がんだけじゃなくて
いろんな病気にかかりますし、
不自由になります。
でもね、それでいいの。
こうやって人間は
自分の不自由さに仕えて
成熟していくんです。
若くても不自由なことは
たくさんあると思います。
それは自分のこと
だけではなく、
他人だったり、ときには
わが子だったりもします。
でも、その不自由さを
何とかしようと
するんじゃなくて、
不自由なまま、
おもしろがっていく。
それが大事なんじゃないかと
思うんです
(19)
「自分がいつまでも」っていう
ことが美しいと思っているなら、
この世の中に排除されたら
つらいでしょうけど。
それが普通だと思っていたら、
排除されるっていうことは
ひとつもいやじゃないわよ
(20)
嫌な話になったとしても、
顔だけは笑うように
しているのよ。
井戸のポンプでも、
動かしていれば
そのうち水が
出てくるでしょう。
同じように面白くなくても、
にっこり笑っていると、
だんだん嬉しい感情が
湧いてくる。
(21)
おごらず
人と比べず
面白がって
平気に生きればいい
(22)
おこがましいんですけど、
ものにはやっぱり
表と裏があって、
どんなに不幸なものに出会っても、
どこかに灯りが見えるものだと
いうふうに思っている。
(23)
他人と比較しない。
世間と比較しないこと。
比較すると
這い上がれないので。
挫折するので。
(24)
もし生まれ変わったら、
内田とはもう逢いたくない。
もし次逢ったら、
また好きになってしまって
また大変な人生を
送ってしまうから
− 樹木希林 −
■ 2018年9月15日に天国へ
今回は、女優の樹木希林さんの名言をまとめさせていただきました。2018年8月に樹木希林さんは、大腿骨を骨折して緊急手術を行い、その一か月後の2018年9月15日にご自宅で家族に看取られる形でお亡くなりになりました。あまりにも突然だったので、ワイドショーでも大きく取り上げられましたね。
そして、今年2019年3月17日に樹木希林さんの夫である内田裕也さんが樹木希林さんの後を追う格好で肺炎のため亡くなられました。お二人が結婚されたのが1973年なんですが、当時内田裕也さんは、自身のアーティストとしての活動と並行して今でいうプロデューサーとしての活動で超多忙を極めていたため、ほとんど家に帰らなかったそうです。
そして、1981年に内田裕也さんが離婚届を提出するも、樹木希林さんが訴訟を起こして勝訴したため、離婚は不成立に終わり、以後死ぬまで夫婦であり続けました。
■ 夫への愛が凄い!?
生前内田裕也さんが何度もトラブルを起こしていながら、死ぬまで一度も離婚することなく夫婦関係を続けました。一人娘の内田也哉子さんさえ樹木希林さんの考え方が理解できなかったようなのですが、内田裕也さんが最後に樹木希林さんの遺体を見つめる姿を見て、ようやく理解できたのだとか。
1980年代に内田裕也さんが役所に離婚届を提出するも、樹木希林さんは訴訟を起こしてまで離婚を拒絶し続けたわけですが、最近になって離婚して早く自由にさせてあげればよかったと、一度は考えを改めたようです。
しかし、その旨内田裕也さんに伝えたところ、「いやこれで良かったんだよ」と逆に諭されたというのですから、本当に絆の強いご夫婦なんですね。お二人とも存在感が凄いですよね。
■ 全身ガンになっても女優業を続ける強さ
また、2000年代に入ってから乳がんを患い、その後に肝臓、腸、副腎、脊髄など全身13カ所にがんが転移するも、放射線治療によってガンの痛みを和らげながら治療を続け、生前に全身がんの治療を終えています。全身ガンであることを公表してから5年以上生きたことになります。
普通であれば、がんの治療に専念されるところですが、樹木希林さんは頑なに仕事をやめてまで療養生活を送ることを拒んだようです。しかしながら、どんなに働きたいと本人が願っても、オファーがなければ仕事はできません。一般の人がガンを患った状態で働くのは、がんの理解が深まりつつある現代でも困難です。
そして、映画やドラマというのは、撮影中に亡くなられてしまうと、代役を立てるのが非常に困難です。特に樹木希林さんのような重要な役を演じられる方の場合、取り直すとなると膨大な時間と費用を失うことになってしまうので、高齢の俳優さんはキャスティングするのが難しいとされています。
しかし、樹木希林さんの場合、がん治療を継続している状態でありながら、映画やドラマのオファーがひっきりなしに来ていたそうです。いかに関係者から愛されていたかが、伺いしれますね。
樹木希林さんは、唯一無二の存在ということで、引く手あまたでした。本当に日本の演劇界にとって大きな損失ですね。
【PR】樹木希林 120の遺言
死ぬときぐらい好きにさせてよ >>
吉田豪語る「樹木希林さんは内田裕也よりも怖くてクレイジー」